プラチナ・ジュエリーの国際的広報機関による情報サイト
中世以降、プラチナの豊富な南アメリカを領有したのがスペインのコンキスタドール(征服者)
たちです。彼らは当初、融点が高くなかなか融けない白い金属に価値を見いだせず、「小粒の銀=プラチナ」という蔑称で呼び、投げ捨てていました。1735年、スペイン将校ドン・アントニオ・ウローラが、南米コロンビアのピント川で発見した金属を「プラチナ・デル・ピント」(ピント川の小粒の銀)と本国に報告した記録が残っています。こうして、最も高貴な貴金属が「プラチナ」と呼ばれるようになったのです。
コンキスタドールたちの手によってヨーロッパにプラチナが持ち込まれると、プラチナは堅く閉ざしていた神秘のベールを徐々に解き始めます。1751年、スウェーデンの科学者テオピル・シェファーによって、プラチナは学術的に貴金属として分類されました。ここから、ヨーロッパ各国は競ってプラチナの精錬、冶金、加工の技術を研究するようになったのです。